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1982年1月

1982年1月30日 (土)

(株)伊藤建材店[紋別市]

紋別の伊藤建材店が倒産 旭川建材で連鎖15件目

【紋別・北見】民間信用調査機関の帝国データバンク北見支店と東亜興信所北見支所によると、紋別市本町一ノ一〇九、伊藤建材店(伊藤繁社長、資本金七百万円、従業員十五人)は三十日までに旭川地裁に和議を申請し、財産保全命令が出て事実上倒産した。同社は昨年十二月三十一日に倒産し自己破産宣告して倒産した旭川建材社(旭川)の連鎖倒産で、負債額は十億一千四百万円に上る見込み。

同社は二十七年に創業、四十年に株式会社になり、紋別地方では大手の建築資材販売会社。しかし、不況でこの二年間、収益が大幅にダウンし、さらに旭川建材社の倒産で不渡りになった一億五千万円前後の融通手形が行き詰まりの原因。和議の申請内容は、負債額の四割カット、残り六割を今年十二月末から六十年十二月末まで支払う、というもの。旭川建材社の連鎖倒産はこれで十五社目。

北海道新聞
1982/01/31
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1982年1月29日 (金)

(株)山一藤井商店[旭川市]

山一藤井商店が倒産

【旭川】民間信用調査機関の東京商工リサーチ旭川支店によると、旭川市流通団地一ノ三、雑穀類加工販売業山一藤井商店(資本金二百万円)はこのほど二回目の不渡り手形を出し、銀行取引停止処分となって事実上倒産した。負債総額は二億円内外と見られる。

同支店の調べでは、同社は大正九年(一九二〇年)に創業し、四十九年法人に改組。小豆、大豆、金時豆など雑穀全般を扱い五十三年度は四億円内外の売上高をあげていたが、放漫経営から資金繰りが悪化。その後業務を縮小、ホクレンの加工作業を行ってきたが、膨大な負債を整理できなかった。

北海道新聞
1982/02/05
http://www.hokkaido-np.co.jp/

(株)富士美久保建具製作所[札幌市]

破産宣告及び破産廃止(昭和57年(フ)第3号)

(株)富士美久保建具製作所(札幌市白石区栄通8丁目5番23号)は1月29日、札幌地裁から破産宣告・破産廃止決定を受けた。

1982/02/12
札幌地方裁判所民事第四部

1982年1月25日 (月)

日本美装(株)[札幌市]

和議開始(昭和56年(コ)第10号)

日本美装(株)(札幌市白石区東札幌3条4丁目1番地)は1月25日、札幌地裁から和議手続開始決定を受けた。

管財人は細井洋弁護士(札幌市中央区)。

債権届出の期間は昭和57年3月5日まで、債権者集会の期日は昭和57年3月25日午後2時。

1982/02/02
札幌地方裁判所民事第四部

1982年1月21日 (木)

福村工業(株)[小樽市]

福村工業(小樽)が倒産

【小樽】民間信用調査機関が二十一日明らかにしたところによると、小樽・後志管内の採石メーカー二社が建設不況による販売不振で事実上倒産した。負債総額は二社合わせて五億円余り。

帝国データバンク小樽支店によると、福村工業(小樽市朝里三、七百五十万円)は十六日、二回目の不渡り手形を出し負債二億七千万円を抱えて事実上倒産した。三十二年の設立で、同市桃内に採石場をもち、生コンメーカーに砕石を販売し、年商一億一千九百万円(五十六年十二月期)を計上したが、昨年来の建設工事減少で資金繰りに窮した。

北海道新聞
1982/01/22
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1982年1月20日 (水)

藤川ベニヤ工業(株)[芦別市]

藤川ベニヤ工業と系列の大東が倒産

民間信用調査機関の帝国データバンク札幌支店によると、芦別市上芦別町、合板メーカー、藤川ベニヤ工業(藤川武社長、資本金一千七百万円)と同、同社子会社で家具用材製造の大東(藤川武社長、資本金一千万円)はともに二十日、一回目の不渡り手形を出したのに続いて、二十一日午前、両社前に事業所閉鎖の掲示を出して任意整理に入り、事実上倒産した。また両社は二十一日午前、合わせて百五人の全従業員に解雇を通告した。負債は藤川ベニヤが七億円、大東は三億一千万円に上る見込み。

藤川ベニヤは年商十億円台、大東は三億円台で推移してきたが、住宅関連資材の需要落ち込みから業績が悪化し、行き詰まった。

北海道新聞夕刊
1982/01/21
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1982年1月16日 (土)

(株)佐藤建材店[名寄市]

旭川建材関連 連鎖倒産、新たに2社

【旭川】民間信用調査機関の帝国データバンク、東京商工リサーチ両旭川支店によると、昨年十二月三十一日に倒産した旭川建材社に関連して名寄市の佐藤建材店(佐藤英勝社長、資本金・百万円、名寄市西四北三)が十六日、二回目の不渡り手形を出し事実上倒産した。負債額はデータバンクの調べで七億三千万円、リサーチ調べで八億円の見込み。

同店は昭和四十五年に旭川建材社の支援で、化粧合板、新建材などの販売を主体に設立。五十五年十二月期に売り上げ四億五千九百万円を計上したが、五十六年十二月期には市況の悪化で三億円内外に落ち込んで資金ぐりが苦しく、旭川建材社と多額の融通手形を交わしたために、事実上倒産した。

北海道新聞
1982/01/17
http://www.hokkaido-np.co.jp/

(株)マルシン[旭川市]

旭川建材関連 連鎖倒産、新たに2社

また、東京商工リサーチ旭川支店によると、旭川建材社の関連で旭川の厨(ちゅう)房家具製造、マルシン(資本金・一千八百万円、旭川市東旭川町上兵村)も同日、二回目の不渡り手形を出し事実上倒産した。負債額は九億四千五百万円にのぼる見込み。

マルシンは四十二年に創業。流し台など調理場用の厨房家具製造を主体に業績を伸ばし、五十一年度で約五億四千万円の売上高を計上していた。しかし五十二年に東旭川町に約一億一千万円を投じて工場を新築したころから需要が鈍化し、五十六年末で七千二百万円の累積欠損を出していたうえに、旭川建材社との多額な融通手形が焦げ付いた。

旭川建材社の連鎖倒産はこれで九社。

北海道新聞
1982/01/17
http://www.hokkaido-np.co.jp/

丸昌水産(株)[小樽市]

いずしの丸昌水産倒産 負債二億四千万円

【小樽】民間の信用調査機関、東京商工リサーチ小樽支店が明らかにしたところによると、小樽市の水産加工メーカー、丸昌水産(資本金百万円)は十六日、二回目の不渡り手形を出し、負債二億四千万円を抱えて事実上倒産した。

同社は四十八年九月の設立。いずしの専業メーカーとして道央の食料品店、スーパーに製品を販売しており、年商は二億五千万円(五十六年八月期)。五十五年にホッケ買い付けに失敗し、三千万円の赤字を出してから経営が苦しくなり、危機乗り切り策として五十六年秋、地元に生鮮食品ストア「バッファロー」を開店したが、資金繰りに窮した。

北海道新聞
1982/01/19
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1982年1月13日 (水)

(株)田辺本店[網走市]

網走 田辺本店が倒産 建設資材の販売不振 負債額は約36億円

【網走・北見】網走管内の建設資材販売業界で大手の田辺本店(本社・網走市南一西一、資本金五千三百五十万円)が土木、建設関連の不況で業績不振に陥り、十三日夕、釧路地裁網走支部に和議を申請し、事実上倒産した。負債額は約三十五億七千万円で、同管内では戦後二番目の大型倒産。

民間の信用調査機関である東亜興信所の調べによると、同社は年商の六割近くを土木・建築資材、住宅設備、セメントの販売で占めているが、二年前からの建設不況で危機に陥り、年商は五十四年が八十二億円、五十五年が七十六億円、五十六年が六十億円程度とダウンし、大幅な赤字を背負い込んだ。この間、不動産(土地)を売却するなどしたが、長引く不況に追いつかなかった。

負債額は三十五億七千五百十五万円(東亜興信所調べ)に上り、管内では四十五年に倒産したでんぷん製造の上田産業(小清水町)の四十二億円に次いで戦後二番目。

関連会社は石油販売など三社あるが、倒産の心配はなく、連鎖倒産も取引先が大手が多く、地元企業も以前から警戒して取引を行っていなかったため、おそれは少ない、とみられている。また、従業員は十四日から自宅待機となっている。

同社は大正六年(一九一七年)に個人で創業、昭和二十四年に株式会社となり、地元では屈指のしにせ。網走本社のほか、北見、紋別、札幌に支店、営業所がある。

北海道新聞
1982/01/14
http://www.hokkaido-np.co.jp/

 

網走屈指の老舗「田辺本店」偲ぶ会


2015/04/02掲載(網走市/社会・歴史)

元従業員25人 市内で久々の再会

かつて網走では屈指の老舗企業だった田辺本店の元従業員が先日、市内で久々の再会を果たした。本店が幕を下ろしてから初めてのことだった。集まった元従業員は「『田辺本店を偲ぶ会』を正式に立ち上げたい。元従業員だった人は連絡を」と呼びかけている。

思い出話に花 またいつか集合へ連絡を

田辺本店は地酒「君が袖」の醸造をはじめ建設資材や住宅設備などの販売を手がける総合商社だった。資料によると、昭和57年1月、 建設関連の不況で業績不振に陥り倒産した。

創業は大正9年で、昭和24年に株式会社となった。南4条東1にあった社屋、そして地酒 「君が袖」などは多くの市民に親しまれ、倒産した際は「網走管内では戦後2番目の大型倒産」などと報じられた。

元従業員によって企画された「偲ぶ会」。先日、市内の飲食店で開かれ、網走市や北見市に住む25人が参加し、札幌市から足を運んだ元社員もいた。

昭和57年の倒産後、こうした形で一堂に会するのは初めてという。網走市の近代歴史で欠かすことのできない、網走を代表した総合商社・田辺本店の思い出話に花を咲かせたという。市内に住む元従業員は「またいつか『偲ぶ会』を開催したい」と夢を膨らませている。

経済の伝書鳩
2015/04/02
http://denshobato.com/

1982年1月12日 (火)

旭川工芸合板(株)[旭川市]

また旭川建材社の関連倒産 旭川工芸合板が整理

【旭川】民間信用調査機関の帝国データバンク、東京商工リサーチ両旭川支店の調べによると、昨年十二月末に事実上倒産した旭川建材社(本社・旭川)の関連で旭川工芸合板(川島信一社長、資本金千九百十万円)=旭川市豊岡二ノ五=がこの五日、二回目の不渡り手形を出したあと銀行取引を解約され、十二日の債権者会議で整理を決定、事実上倒産した。負債総額はリサーチ調べで四億六千万円、データバンク調べで四億五千万円とみられている。

同社は四十七年、ツキ板、化粧合板の製造を目的に発足。四十九年に札幌工場を開設、五十六年三月期には三億千二百万円の売上高を上げた。しかし、過去に多額の不良債権を抱えていたうえ、旭川建材社へ二億二千万円ほどの融通手形を振り出していたことが災いし、行き詰まった。

このほか、両支店によると深川市の建材販売業、深建(杉森二朗社長、資本金四百万円)が一回目の不渡り手形のあと営業続行不可能となり、負債総額二億五千万円で事実上倒産するなど十三日までに旭川建材社の関連倒産は七社に達した。

北海道新聞
1982/01/14
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1982年1月11日 (月)

藤井建設工業(株)[美唄市]

破産宣告(昭和56年(フ)第6号)

藤井建設工業(株)(美唄市字美唄1273番地)は1月11日、札幌地裁岩見沢支部から破産宣告を受けた。

破産管財人は須田久節弁護士(札幌市中央区)。

債権届出の期間は昭和57年2月28日まで、第1回の債権者集会・債権調査の期日は昭和57年3月19日午後3時。

1982/01/19
札幌地方裁判所岩見沢支部

中村鉄工(株)[鵡川町]

中村鉄工(鵡川)が倒産 負債額11億円

【鵡川】胆振管内鵡川町の中村鉄工(資本金千二百万円、中村昭一社長)=同町花園町二ノ二=は十一日、札幌地裁に和議を申請、翌十二日財産保全命令が出て事実上倒産した。負債総額は十一億円に達する見込みで、同町最大の倒産となった。

民間の信用調査機関の東京商工リサーチ苫小牧支店、帝国データバンク苫小牧支店によると、同社は三十四年に設立され、鉄骨ハウス、コンクリート製品の型ワク製作などで業績を伸ばし、本州方面にも進出したが、競争激化と販路の先細りで最近、売り上げが落ち込んだ。

北海道新聞
1982/01/15
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1982年1月 5日 (火)

古平砂利工業(株)[余市町]

古平砂利(余市)が倒産

一方、東京商工リサーチ小樽支店の調べでは、古平砂利工業(余市町黒川町二、一千万円)もこのほど、二回目の不渡り手形を出し、負債二億五千万円を抱えて事実上倒産した。同社は三十三年に設立、古平町内に採石場を設けて生コンメーカーに砕石を売り、年商は一億五千万円(五十五年十二月期)にのぼったが、五十三年に開設した採石場から良質な石が得づらかったうえ、建設不況で需要が低迷し、経営に行き詰まった。

北海道新聞
1982/01/22
http://www.hokkaido-np.co.jp/

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