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1981年12月

1981年12月31日 (木)

(株)旭川建材社[旭川市]

旭川建材社が倒産 金谷組の連鎖 負債額、45億円超す

【旭川】民間信用調査機関の東京商工リサーチ、帝国データバンク両旭川支店によると、道北最大の建材資材卸商社の旭川建材社(佐竹清治社長、資本金一千万円、旭川市一ノ一五)は十二月三十一日、一回目の手形決算のメドがつかなくなったため、旭川地裁に自己破産を申し立て、事実上倒産した。負債額は東京商工リサーチでは五十億円、帝国データバンクは四十五億円にのぼると見ている。

同社は三十七年四月創業。化粧板フロア、新建材、住宅機器タイルなど建築資材卸商社として五十四年十二月期に四十五億七千九百九十万円の売り上げを計上した。しかし大口の不良債権を抱えていたうえに、昨年に入って建設業界の不振などから十二月決算では四千万円以上の赤字を見込むなど、資金的に苦しくなっていた。十二月二十九日、取引先の金谷組(旭川)が任意整理に入り倒産したため、一億六千万円内外の債権が回収不能となり、連鎖の形で倒産した。

北海道新聞
1982/01/01
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1981年12月29日 (火)

(株)金谷組[旭川市]

年の瀬暗然 百五十人 金谷組(旭川)が事実上倒産 負債57億円

【旭川】民間信用調査機関の東京商工リサーチ、帝国データバンク両旭川支店によると、道北地方の中堅建設工事業、金谷組(西岡林吉社長、資本金一千三百万円、旭川市大雪通八)は二十九日、一回目の不渡り手形を出すと同時に古田渉弁護士(旭川)に財産保全を依頼、任意整理に入り、事実上倒産した。従業員百五十人は同日付で全員解雇された。負債総額は東京商工リサーチによると五十七億円、帝国データバンクでは五十六億円にのぼり、道北の建設業では過去最大の規模となった。

金谷組は大正五年(一九一六年)創業、昭和十五年に山陽国策パルプ旭川工場の原木処理請負業を始め、三十六年に現在の組織となった。建築業を主体に山陽国策パルプ旭川工場の整木調木作業請負をしており、年商も五十四年一月期の二十三億三千六百七十万円から五十六年一月期では三十六億二千四百七十五万円まで業績を伸ばし、今年度も四十億円以上の完成工事高が見込まれていた。しかし、資金力が乏しく、採算割れの自転車操業が続き、国策グループや主力取引先の支援で切り抜けてきたが、十二月五日に倒産した旭川市内の近藤木材建設に四千万円内外のこげ付きが発生。これが引き金となって信用不安が流れ、任意整理に入った。

北海道新聞
1981/12/30
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1981年12月25日 (金)

(株)リリー食品工業[音更町]

モデル工場また倒産 “障害者の城”師走風冷たく

【音更】十勝管内の心身障害者雇用モデル工場第一号である同管内音更町然別北五線西三七、リリー食品工業(岡本秋雄社長、資本金一千万円)が、経営が立ち行かなくなって二十五日、釧路地裁帯広支部に和議を申請した。労働省指定のモデル工場の事実上倒産は、十一月のサッポロスープ(札幌)に次いで道内で二件目。年の瀬も押し詰まった中だけに、従業員の半数を占める精薄者やその関係者にとっては、厳しい新年となりそうだ。

音更のリリー食品「操業続けたい」 地裁が財産保全命令

漬物加工の同社は四十七年に創業、年商約四億円は管内業界一位。音更工場のほかに心身障害者を雇用していない札幌工場、釧路営業所を持つ。

四十九年ごろから、同町内の精薄者更生施設、晩盛学園(園生九十人)の園生の職場実習を引き受けた縁で、同施設卒園者を採用。昨年八月にはモデル工場の指定を受け、国から二億円の助成、雇用促進事業団から一億五千万円の低利融資を受けて、現在の新工場を昨年十二月に完成させた。現在、音更工場(従業員三十七人)では身障者一人と軽度、重度の精薄者十八人が働いている。

ところが、こうした積極的な設備投資を行って迎えた今年、春先からの低温、八月の風水害などで原料の野菜類が品薄となり高騰、生産販売が伸び悩んだことから資金難に陥り、和議を申請した。財産の保全命令は申請の二十五日に同支部から出されているが、民間信用調査機関の東京商工リサーチ帯広支店の推定では、負債総額は約四億円とみられている。債権者は金融機関が大口で、ほかに材料調達先の農家、調味料、包装資材などの業者が中心といわれている。

同社の岡本治男専務は「保全の命令も出たので、必死の努力で心身障害者の職場を確保したい。これから債権者の人たちと話し合いを進めなければならないが、札幌工場の整理などで、本社工場は操業を続けていきたい」と話している。

障害者のうち精薄者の十八人は全員が晩成学園の卒園者。現在は同学園の通勤寮から通っているが、仮に解雇などの事態となれば、通勤寮の入寮費などで厳しい事態も考えられる。

同学園の茂古沼勲園長は「厳しいとは聞いていたが、二十五日には全員が給料を支払ってもらい、喜んでいた。サッポロスープと異なりリリー食品は、経営陣の乱れなどはないはずなので、何とか立ち直って身障者雇用の場を確保してもらいたい」と言っている。

北海道新聞
1981/12/27
http://www.hokkaido-np.co.jp/
 

フォト海道(道新写真データベース)
【写真説明】4億円の負債を抱えて和議申請を出した「リリー食品工業」=十勝管内音更町然別 掲載 1981/12/27

 

1981年12月22日 (火)

北海道エヌ・イー・シー商品販売(株)[小樽市]

特別清算開始(昭和56年(ヒ)第10号)

北海道エヌ・イー・シー商品販売(株)(小樽市塩谷1丁目65番地3)は12月22日、札幌地裁から特別清算開始決定を受けた。

1982/01/18
札幌地方裁判所

坂東木材(株)[三石町]

破産宣告(昭和56年(フ)第60号)

坂東木材(株)(三石郡三石町字本町204番地)は12月22日、札幌地裁から破産宣告を受けた。

破産管財人は岩本勝彦弁護士(札幌市中央区)。

債権届出の期間は昭和57年2月20日まで、第1回の債権者集会・債権調査の期日は昭和57年3月16日午後3時。

1982/01/07
札幌地方裁判所民事第4部

1981年12月21日 (月)

(株)サカシノ[札幌市]

「サカシノ」に破産を宣告 札幌地裁

道内の製材、建材製造、販売業の大手である「サカシノ」(本社・札幌、資本金二千百万円)は二十一日、札幌地裁から破産宣告を受けた。

民間信用調査機関である東京商工リサーチ道支社によると、負債総額は約十七億という。同社は二十七年に創業、四十年に三井物産の系列となった。最近の景気低迷による落ち込みが著しく、五十六年一月期決算では売上高三十一億九千万円、損失五千五百九十万円を計上した。さらにその後も業績は回復せず、前年に比べ二〇%前後の売り上げ減となっていた。このため、同社は十七日、同地裁に自己破産申請をしていた。

北海道新聞夕刊
1981/12/21
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1981年12月15日 (火)

(株)金野工業所[札幌市]

金野工業所が倒産 負債10億円

道内の配管工事の中堅企業である金野工業所(本社・札幌、資本金二千二百万円)は十五日、札幌地裁に和議を申請、同日同地裁から保全命令が出て事実上倒産した。負債総額は約十億円。

東京商工リサーチ道支社によると、同社は昭和二十年創業の配管工事業者としては道内のしにせ、五十四年度の年商は七億六千五百万円、五十五年度同八億九千九百万円の業績を上げている。四十八年の函館支店開設を契機に、出資増、借入金増が重なり業績が悪化していたが、今月四日に倒産した朝日興発(札幌)との間に融通手形があり、これが焦げ付いたのが直接の倒産のきっかけとなった。従業員は二十七人。

北海道新聞夕刊
1981/12/16
http://www.hokkaido-np.co.jp/

北炭夕張炭鉱(株)[夕張市]

北炭夕張、事実上の倒産 札幌地裁に更生法申請 収入途絶、負債721億 関連三社“連鎖”回避図る

ガス突出事故で九十三人の犠牲者を出し、深刻な経営危機に陥っていた北炭夕張炭鉱(本社・夕張市清水沢清陵町六一、林千明社長、資本金五億円)は十五日午前九時、札幌地裁に会社更生法の適用を申請し、事実上倒産した。同地裁は同日午後一時半保全命令を出した。事故発生からちょうど二カ月、坑内にはまだ五十三人の遺体がとり残されているが、原因究明の遅れなどから操業再開の見通しが全く立たず、収入の道が途絶えてしまったため、自力再建を断念したものである。同社は再建に向けての成案づくりを急いでおり、十四日に開かれた石炭鉱業審議会経理審査小委員会で、事故現場の北部区域の再開発を当面あきらめ、平安八尺層(一般炭層)の採炭を柱とした縮小再建案を検討するとの基本的考えを示したばかり。しかし、このまま放置すると、資金的に行き詰まるばかりでなく、連帯保証の関係にある親会社の北海道炭砿汽船(本社・東京)をはじめ、グループの北炭幌内炭鉱(本社・三笠市唐松青山町一一五、中山次郎社長、資本金三億円)と北炭真谷地炭鉱(本社・夕張市真谷地六二、田中輝一社長、資本金一億円)、さらには他の系列会社の連鎖倒産を引き起こす恐れが出てきたため、更生法申請で同社を北炭グループから切り離すことにしたもの。申し立て書によると、夕張炭鉱の負債総額は七百二十一億円で、道内の倒産では最大。その多くは政府機関からの借り入れだが、政府からの多額の借入金を抱えたまま更生法を申請した例はなく、今後の成り行きが注目される。

保全命令を決定

十五日午前九時、北炭夕張炭鉱の大山武代表取締役専務(社長代行)が代理人の伊東孝弁護士(札幌)と井関浩弁護士(第二東京)とともに同地裁に会社更生法適用の申請書とこれまでの経緯を書いた釈明書を出した。同地裁(村重慶一裁判長)は同十時すぎから財産保全命令に関し、三人から事情聴取を行い、午後一時半、保全命令を決定した。

北炭夕張炭鉱は十二月中に約二十四億円の資金を必要としていた。このうち九億円については、政府が政府融資に対する担保解除などで資金援助することとなり、さらに三井銀行など民間金融機関の支援もあって、あと六−七億円あればどうにか年内は乗り切れるところにきていた。しかし、二十一日に迫った一億八千万円の支払手形の不渡りが避けられそうもない状況の中で十五日には千九百万円の手形決済ができず、これが会社更生法の直接のきっかけになった。

もし仮に年越しのメドがついたとしても、遺体収容、被災者補償などで来年三月までに約四十三億円が必要で、窮地に立たされていた。いまのところ遺体の収容は、揚水、取りあけ作業が大幅に遅れ、三月半ば以降までかかるとされており、採炭現場の西部区域の生産再開も全く見通しが立っていない。このため、年内は乗り切っても、遅かれ早かれ行き詰まるのは必至という情勢となっていた。

同社は再建計画の成案づくりを急ぎ、国の“お墨付き”を得て西部区域の生産再開を考えていた。しかし、生産規模の縮小と人員削減を柱とした成案づくりは難航を極め、また、林社長の自殺未遂というアクシデントもあって、予定されていた十四日の石鉱審経理審査小委員会への成案提出も“空振り”に終わった、北炭側は「今年中にも何とか再建計画をまとめ上げたい」としていたが、抜本的な再建案が示される可能性は薄い。これ以上、事態を引き延ばしても得策ではないと判断、最終的に会社更生法による再建の道を探ることを決めた。

会社更生法の適用申請により、北炭夕張炭鉱の行方は裁判所の更生手続きにゆだねられるが、更生会社と認められない場合、さらに更生会社と認められた場合でも、再建、生産再開のメドがつくかどうかは疑わしい。新たな収入がないため、当面は遺体の収容と遺族への補償に全力を注ぐが、必要な資金はメーンバンクの三井銀行をはじめ、民間金融機関、さらには北炭グループの支援に頼らざるを得ない。また、政府の財政援助も求められる。

北炭夕張炭鉱は、親会社の北海道炭砿汽船、生産子会社の北炭幌内、北炭真谷地の三社との間で連帯保証関係にあり、裁判所の判断によっては、これら四社そろっての更生法申請に発展する可能性もあり、予断を許さない。

北海道新聞夕刊
1981/12/15
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1981年12月 5日 (土)

近藤木材建設(株)[旭川市]

近藤木材建設 (旭川)が倒産 負債額は20億円

【旭川】民間信用調査機関の帝国データバンク旭川支店によると、旭川市内の建売・建築工事業の近藤木材建設(資本金二千万円)=同市六ノ一六=は五日、一回目の不渡り手形を出すと同時に、任意整理することを決定、事実上、倒産した。負債総額は二十億円になる見込み。また同社系列で住宅機器、器材新建材卸しの八州工業(資本金三百万円)=同市東八ノ四=も同様の方法がとられ、事実上倒産、この負債は約五億円の見込み。

近藤木材建設は昭和三十五年四月、個人経営で始まり、四十五年三月に法人に改組、最近はマンション、アパート、建売住宅を主業にし、五十五年二月期には年商十五億五千三百万円を計上したが、その後業績が低下。今年は不況と競争の激化から採算がとれなかったうえ、不良債権も抱えて資金繰りが極度に詰まっていた。

一方、八州工業は昭和五十年七月に設立、一時休業して五十二年に再開、住宅設備卸しなどで五十五年十二月期は八億一千六百万円の売り上げを示したが、親会社の近藤木材建設や下請け企業への納入が主体のため、同時整理を決定した。

北海道新聞
1981/12/06
http://www.hokkaido-np.co.jp/

(株)酒井屋[八雲町]

冷凍食品製造の酒井屋倒産 負債2億5千万円

【八雲】冷凍食品製造では道内中堅の株式会社酒井屋(酒井敏行社長、本社・渡島管内八雲町三杉町二五ノ二一、資本金七百五十万円)は、資金繰りの悪化から五日に函館地裁に和議を申請して事実上倒産、同地裁は七日、同社の財産保全命令を出した。

民間信用調査機関の東京商工リサーチ函館支店によると、負債額は約二億五千万円。同社は五十一年二月に設立し、野菜や魚介類を原料にコロッケなどの冷凍食品類を生産、五十五年十二月期では三億五千四百万円の売り上げがあった。しかし五十四年に、コストダウンのため約五千万円で工場や機械を増設する設備投資を行ったが、二年続きの農作物不作などで計画通りのコスト低下が図れず、業績不振も重なって資金繰りが悪化していた。

北海道新聞
1981/12/08
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1981年12月 4日 (金)

朝日興発(株)[札幌市]

朝日興発(札幌)が倒産 中堅コンクリート製品メーカー 負債額十四億円

道内のコンクリート製品メーカーの中堅である朝日興発(本社・札幌、資本金二千万円)が四日、札幌地裁に自己破産申請し、事実上倒産した。申請によると負債額は約十四億五千万円。

同社は四十六年に設立されたコンクリート二次製品メーカーで、道路、宅造工事用品、生コンを製造しており、五十五年度の年商は七億八千三百万円だった。今年三月に倒産した道内の建売住宅業者へのこげ付きが一億二千万円に及び、資金繰りに窮したため、安易な融通手形の発行、高利の資金に頼るなどますます経営の悪化を招いた。

十一月三十日に一回目の不渡り手形を出し、今月五日の手形決済のメドが立たないため、破産申請となった。なお五日、札幌地裁は同社の破産申請を認める決定をした。

北海道新聞夕刊
1981/12/05
http://www.hokkaido-np.co.jp/

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