« 1981年4月 | トップページ | 1981年6月 »

1981年5月

1981年5月29日 (金)

池田建設(株)[苫小牧市]

苫小牧の池田建設が“倒産”

【苫小牧】苫小牧市内の中堅の建設業、池田建設(吉野巌社長、資本金千万円)が二十九日、札幌地裁室蘭支部に会社の整理を申し立て、事実上倒産した。負債額は十億円を上回る見込み。

同社は昭和三十八年に設立以来、堅実な経営を続け、最近では苫小牧市、室蘭開建などの公共事業も受注、年商は十億円を上回っていた。しかし昨年秋、苫小牧錦岡病院の建設を受注し、今春までにほぼ完成させたものの、入居する医師がみつからないために同社がたて替えた土地代を含む六億円強の回収のめどが立たなくなった。四月以降、同社と金融機関、債権者の間に苫小牧市、苫小牧商工会議所が積極的に介入し、テコ入れに当たったが、肝心の入居医師がみつからず、窮地に追い込まれた。

北海道新聞
1981/05/30
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1981年5月25日 (月)

(株)大竹[七飯町]

鈴木事業所連鎖第1号「大竹」が倒産

【函館】道南のコンクリート二次製品製造販売の中堅、株式会社大竹(本社・渡島管内七飯町本町五〇八ノ一、大竹幸子社長、資本金二千万円)は、二十五日までに函館地裁へ和議申請、同日午後、同地裁から財産保全命令を受けて事実上倒産した。負債総額は二億七千万円。四月下旬、和議申請して事実上倒産した道南最大手の建設業者、鈴木事業所(本社・七飯町、鈴木喜三郎社長)が主力納入先で、同社の連鎖倒産第一号。

和議申請申立書と民間信用調査機関、東京商工リサーチ函館支店によると、大竹は鈴木事業所の和議申請で手形支払いのメドがつかなくなったうえ、同社に対する四千万円近い製品代金も回収不能に陥って経営が行き詰まった。

大竹は四十三年に個人会社としてスタート。五十一年十一月、法人化して営業規模を拡大したが、売り上げ重点の乱発で利益が上がらず、五十三年末には累積赤字が一億一千万円に上っていた。

北海道新聞
1981/05/26
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1981年5月20日 (水)

(株)東洋信販北海道[札幌市]

東洋信販北海道が破産 連鎖第1号 負債、15億円に迫る

親会社の東洋信販(本社・東京、資本金八億一千万円)が今月十一日に会社更生法の適用を申請して事実上倒産した余波を受けて、系列子会社の東洋信販北海道(本社・札幌市中央区南四西六、晴々ビル、資本金七千九百八十万円)は経営が行き詰まり二十日、札幌地裁に自己破産を申請、同地裁は同日破産宣告を行った。負債額は同社の申請によると十五億八千二百万円。同地裁は破産管財人に宮永広弁護士(札幌)を選任、第一回の債権者会議を八月十八日に開くことにした。東洋信販の連鎖倒産第一号。

帝国データバンク札幌支店、東京商工リサーチ道支社によると、東洋信販は道内で五十年から主に医師、歯科医を対象に札幌市郊外の高級分譲地の造成、会員制クラブの建設に着手した。五十三年、その系列子会社として「ルーベデンス札幌」を設立。会員制クラブの営業に当たり、さらに五十四年に東洋信販道支社の業務全般を引き継ぎ、東洋信販北海道に社名変更した。ニセコ、洞爺での高級分譲地「ドクター・ビレッジ」など不動産の販売を中心に、時計・貴金属類の訪問販売、会員制クラブ「ルーベデンス札幌」リゾートホテル「ルーベデンス・ニセコ」(後志管内蘭越町日の出五九〇)などを経営、五十六年五月期の売上高は二十一億円を見込んでいた。

しかし、東洋信販の医者を対象にした商法について四月二日の衆院予算委員会で「開業医による課税逃れを奨励した」としてヤリ玉にあげられ、不動産売買の解約などが相次ぎ、同社は事実上倒産、東洋信販北海道もこのあおりを受けて売り上げは急減、五十六年五月期で見込んでいた売り上げ二十一億円は十七億円程度にとどまった。このため資金繰りが悪化、二十日の手形が落とせず自己破産の最悪の事態となった。

北海道新聞夕刊
1981/05/21
http://www.hokkaido-np.co.jp/
 

フォト海道(道新写真データベース)
東洋信販破産宣告 「ルーベデンス札幌ビル」
【写真説明】ルーベデンス札幌の破産で店じまいに追われる美容室従業員 掲載 1981/05/21

 

1981年5月19日 (火)

(株)松尾工務店[札幌市]

会社整理開始(昭和56年(ヒ)第9号)

(株)松尾工務店(札幌市北区新琴似9条10丁目1番16号)は5月19日、札幌地裁から会社整理手続開始決定を受けた。

1981/05/23
札幌地方裁判所民事第四部

1981年5月16日 (土)

旭日工機(株)[旭川市]

農業ハウスの道内中堅 旭日工機が倒産

【旭川】民間信用調査機関の東京商工リサーチ、帝国データバンク両旭川支店によると、農業用ハウスなどの製作、販売業界では道内中堅の旭日工機(本社・旭川市四ノ二三、資本金千八百万円)は十六日、二回目の不渡り手形を出し、事実上倒産した。負債総額は十―十二億円に上る見込み。

両支店によると、同社は四十二年七月に創業。五十二年に上川管内東川町に農業用ハウス工場を新設。農業用ハウス主体にガレージ、物置などを製作し道北、道央をエリアに販売しており、五十五年五月期には十三億六千七百八十万円の売り上げを記録、五十二年から連続三年間、一五%配当と好業績を続けていた。

だが、減反政策で主力の農業用ハウスの販売が伸び悩み、昨年の冷害と一般住宅建設の落ち込みが追い打ちをかけた。主な仕入れ先グループ会社の支援があったが、支え切れず倒産に追い込まれた。

北海道新聞
1981/05/17
http://www.hokkaido-np.co.jp/

高桑金物(株)[旭川市]

高桑金物が事実上倒産 東栄が営業権引き継ぐ

【旭川】民間信用調査機関の東京商工リサーチ旭川支店によると、旭川有数の金物卸業、高桑金物(資本金・四千五百万円)=旭川市流通団地五=はこのほど、業績不振から内整理することになり、事実上倒産した。負債総額は七億六千四百万円とみられている。同社は四月から家庭金物卸しの道内トップ企業、東栄(本社・函館、資本金・九千万円)との間で“身売り”交渉を進めていたが、二十日までに東栄が債権・債務の肩代わりはせず、営業権、従業員を引き受ける形での合意が成立。東栄は遅くとも六月一日までに旭川支店を開設することになった。

同社は二十三年に創業。家庭金物を主力に旭川、北見地方を営業エリアとしてきたが、大型店の相次ぐ進出により年々業績が悪化、売上額も五十三年度の九億四千三百万円をピークに、昨年度は八億円内外に終わった。

両社の調べによると、東栄が従業員十五人をそのまま引き継ぐとともに商品の一部も買い取るが、一般の身売りにみられる債権・債務の肩代わりは行われない。

東栄は、札幌、青森に支店を持ち、年商八十億円。現在、旭川に営業所があるが、支店開設で道北の販売網が一段と強化されることになる。

北海道新聞
1981/05/21
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1981年5月14日 (木)

(有)札幌三四条ターミナルビル[札幌市]

破産宣告(昭和56年(フ)第3号・第19号)

(有)札幌三四条ターミナルビル(札幌市北区北33条西4丁目279番地)は5月14日、札幌地裁から破産宣告を受けた。

破産管財人は浅野元広弁護士(札幌市中央区)。

債権届出の期間は昭和56年6月2日まで、第1回の債権者集会・債権調査の期日は昭和56年6月22日午後1時30分。

1981/05/22
札幌地方裁判所民事第四部

(協)紳装[小樽市]

協組・紳装も倒産 和議を申請 負債は二億八千万円

【小樽】紳士服縫製の協同組合・紳装(本部・小樽市色内一、出資金三百五十万円、嶌村彰禧理事長)は、十四日午前、札幌地裁小樽支部へ和議を申請し、財産保全命令を受けて事実上倒産した。負債総額は二億八千万円。同協同組合は会社更生法の適用を申請している株式会社・紳装の“基幹工場”だが、道内外で十社を数える縫製担当の系列企業のなかで法的救済手段を取ったのは初めてで、兄弟企業にも影響を与えそうだ。

民間の信用調査機関、東京商工リサーチ小樽支店によると、同協同組合は四十六年十月に設立された。小樽、歌志内両市に工場を持ち、背広日産六十着を製造しており、従業員は合わせて百三十五人に上る。

株式会社・紳装から発注された紳士服作りを専門に手がけ、年間売上高は三億五千万円(五十五年四月期)。工賃はすべて紳装の手形で受け取っていたため、その破たんで資金繰りに窮し、六日に一回目の不渡り手形を出していた。

残る系列縫製九社も同協同組合と同じ状況にあり、それぞれ割り引き不能となった紳装の手形四―五千万円を抱えている(同小樽支店)とみられることから、その先行きが心配される。

北海道新聞夕刊
1981/05/14
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1981年5月 6日 (水)

(株)甲州[小樽市]

系列の甲州も 連鎖倒産第一号

【小樽】民間の信用調査機関、東京商工リサーチ小樽支店によると、紳装の系列企業である繊維商社、甲州(本社・小樽市住吉町、資本金八百四十万円)は六日、二回目の不渡り手形を出し、負債十二億円を抱えて事実上倒産した。紳装の連鎖倒産の第一号。

同社は四十年の設立。紳装のほか全道一円の仕立て業者に洋服の裏地、シン地などを販売する一方、チェーン店としてオーダー、既製服も取り扱っている。年商は十二億三千六百万円(五十五年九月期)で、その三五%が紳装に対する売り上げ。このため、紳装倒産で多額の不良債権が発生し、経営が行き詰まった。

北海道新聞夕刊
1981/05/06
http://www.hokkaido-np.co.jp/

(株)紳装[小樽市]

「紳装」ついに倒産 会社更生法の適用申請 負債27億5千万円 小樽

【小樽】道内最大手の紳士服商社、株式会社・紳装(本社・小樽市色内一、資本金四億八千万円、高木末松社長)は、六日午後、札幌地裁へ会社更生法の適用を申請することになり、事実上倒産した。民間の信用調査機関、東京商工リサーチ小樽支店によると、負債総額は二十七億五千万円に上り、本道繊維業界ではことし最大の倒産規模。全道に縫製を担当する系列企業など十二社、チェーン店百六十六店があり、大きな打撃を受けるものと心配される。

同支店の調べだと、倒産の大きな原因は無理な企業規模の拡大。四十七年の設立からわずか十年間に、全道十市町村と青森県に製造部門の系列企業十社、十一工場を設けたほか、道内はもとより本州へも販売網を広げ、合わせて二百二十店のチェーン店を組織している。しかし、過大な生産設備に売り上げが追いつかず、工場への資金投下が増大。さらに零細チェーン店への不良債権も多かった。

さらに、規模拡大に目を奪われる余り、一時的に品質管理が不十分となって不評を買ったり、最近では本州大手メーカーの既製服に市場をくわれがち。このため、五十三年決算で三十億円を超えた年商も頭打ちで、五十六年決算は逆に前年より二億円余りも減少、三十億六千万円余りにとどまった。

こうしたことから、資金繰りは五十四年ごろから大きく悪化し、取引企業、金融機関のテコ入れで手形決済を乗り切ってきた。

苦境脱出をかけて三月中旬に再建計画を決定し、役員も一新したが、企業に対する信用不安を完全に打ち消せず、需要不振も加わって大幅に落ち込んだ受注の回復を果たせなかった。加えて、債務のたな上げも不十分だったことから、一日に一回目の不渡り手形を出し、資金繰りに行き詰まった。

この間、地元小樽市、小樽商工会議所のほか、道も取引企業、金融機関への支援要請に奔走した。しかし、資金計画などに説得力を欠いたことから、幅広い支援を取りつけられず、不調に終わった。

このうち、縫製工場を運営する十社は自治体の過疎地、産炭地振興策に合わせて、現地出資法人の形で設立、操業していることから、社会的な影響は大きい。

なお、同社グループ全体の従業員は六百人、負債は七十億円前後に上る(同小樽支店)という。

北海道新聞夕刊
1981/05/06
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1981年5月 2日 (土)

(株)うかい[旭川市]

「うかい」事実上倒産 皮革製品卸道内トップ 負債総額は七億円

【旭川】民間信用調査機関の帝国データバンク、東京商工リサーチ両旭川支店によると、皮革製品卸業では道内一の売上高を誇る「うかい」(本社・旭川市、資本金一千万円、鵜飼三与志社長)はこのほど、業績不振から債権者委員会が任意整理を決定、事実上倒産した。負債総額は七億円にのぼるとみられている。

両支店の調べでは同社は三十一年九月の創業。旭川本店、札幌支店を拠点に道内一円をエリアとし、昨年七月期には同業種としては道内一の十億三千九百六十万円を達成した。ハンドバッグを主力に学生カバン、ランドセル、その他皮革製品を扱い、取扱高の三割を有名大型店に卸していたが、一昨年以降業績は伸び悩み気味となり、昨年夏ごろからの消費減退で返品が急増。さらに多額の欠損金を内包していたこともあって資金繰りが悪化、四月下旬、仕入れ先に債務の切り捨てなどを要請していた。

北海道新聞
1981/05/02
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1981年5月 1日 (金)

(株)北見冷熱工業[北見市]

破産宣告(昭和56年(フ)第2号)

(株)北見冷熱工業(北見市美山町68番地7)は5月1日、釧路地裁北見支部から破産宣告を受けた。

破産管財人は荻原怜一弁護士(北見市)。

債権届出の期間は昭和56年5月30日まで、第1回の債権者集会・債権調査の期日は昭和56年6月19日午前10時、北見市寿町6の5 北見北地区公民館。

1981/05/15
釧路地方裁判所北見支部

« 1981年4月 | トップページ | 1981年6月 »