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1980年7月

1980年7月28日 (月)

(株)丸高タカヤ[札幌市]

破産宣告(昭和55年(フ)第15号)

(株)丸高タカヤ(札幌市東区北10条東1丁目2番地)は7月28日、札幌地裁から破産宣告を受けた。

破産管財人は田中宏弁護士(札幌市中央区)。

債権届出の期間は昭和55年8月30日まで、第1回の債権者集会・債権調査の期日は昭和55年9月18日午後1時30分。

1980/08/02
札幌地方裁判所第四部

1980年7月24日 (木)

(株)丸福福永商店[札幌市]

食品小売りの福永商店倒産

札幌の地場食料品小売り、株式会社丸福福永商店(札幌市東区東苗穂一七〇、資本金百万円)は二十四日までに、手形不渡りから金融機関の取引停止を受けて事実上倒産した。

民間信用調査機関、東京商工リサーチ道支社の調べによると、同社は四十年に株式会社となり、札幌市内六店舗で営業、五十四年五月期決算では六億七千八百万円の売り上げとなっている。しかしその一方で大手スーパーの攻勢、無理な出店により二、三年前から経営内容が悪化、取引している問屋から資金援助を受けていた。この一年間で支店三店を閉め経営合理化を図ったが失敗し、倒産に追い込まれた。負債総額は二億五千万円前後と見られる。

北海道新聞
1980/07/24
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1980年7月22日 (火)

(有)佐藤機械店[八雲町]

貝毒ショックで倒産 八雲で初 ホタテ関連業者

【八雲】渡島管内八雲町の農、漁業機械販売業、有限会社・佐藤機械店(資本金百万円)は二十二日までに二回目の不渡り手形を出し、事実上倒産した。民間信用調査機関の調べによると、負債総額は約二億円に上るとみられるが、ホタテ貝毒禍に関連した町内企業の倒産は初めて。

負債2億 経営者不明

同社は昭和三十七年、八雲農協を退職した佐藤代表が開店し、当初は農機具を主力としていたが、五十年四月に法人化して、噴火湾で盛んになった養殖ホタテ漁を背景に、漁民を相手にホタテ資材、船外機など漁業機械を扱うようになり、年商三億円。ところが五十三年以来の貝毒発生で、町内の八雲、落部両漁協のホタテ水揚げは、最盛期の五十一億円から、五十四年には八億五千万円に落ち込み、漁民の借金も一戸平均約一千万円に達した。

このため同社は、養殖資材の販売、代金回収が振るわず、さらに昨年十月には約二千万円で店舗兼住宅を新築したこともあり資金繰りが悪化。知人からの借金で当座をしのいできたが、債務はかさむ一方で、七月に入ってから二回、千五百万円、七百五十万円の不渡り手形を出して事実上倒産。帝国興信所の調査では、負債総額は約二億円と見込まれている。

佐藤代表と家族は現在、町内から姿を消しており行方不明。ホタテショックによる倒産は町内で初めてのケースだけに、町民も衝撃を受けており、町商工会では「売掛金未収の業者も町内には多く、今後も第二の倒産も出る恐れもある」と心配している。

北海道新聞
1980/07/22
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1980年7月 9日 (水)

リョーユウ工業(株)[旭川市]

リョーユウ連鎖倒産3社に リョーユウ工業も

建設資材卸し、施工のリョーユウ(本社・札幌)が六月十九日に倒産したが、関連会社のリョーユウ工業(旭川市流通団地、資本金二百万円)は五日、二度目の不渡り手形を出し、九日、銀行取引停止されて倒産した。帝国興信所旭川支店の調べによると負債額は約四億円。旭川では六月末にやはり関連会社、旭川基礎工業、東京重機工業の二社が倒産しており、これでリョーユウの連鎖倒産は三社となった。

同支店の調べによると、リョーユウ工業は四十九年十二月に設立され、コンクリートパイル、H鋼打ち込みなどの基礎工事で、ことし三月期の完工高三億円を数えていた。しかし、リョーユウの下請けで、資材もリョーユウから支給されていたことから親会社の倒産によって重機、車両などが引き揚げられたために六月下旬から休業状態に陥り、連鎖倒産となった。

北海道新聞
1980/07/10
http://www.hokkaido-np.co.jp/

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