« 1979年4月 | トップページ | 1979年6月 »

1979年5月

1979年5月28日 (月)

(株)鈴木工務店[音更町]

鈴木工務店 事実上の倒産

【音更】民間信用調査機関・東京商工リサーチ帯広支店の調べによると、一般建請負の鈴木工務店(資本金三百万円)=十勝管内音更町木野大通西一二=は二度の不渡り手形で二十八日に取引停止処分を受け、事実上倒産した。負債総額は一億三千八百万円の見込み。

同社は五十一年に設立され、年商三億九千万円(五十三年十二月期)。以前から累積赤字を抱え、昨年は大型工事で欠損を出すなど放漫経営が原因と見られている。

北海道新聞
1979/05/30
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1979年5月21日 (月)

(株)伊賀商店[釧路市]

原魚不足で事実上倒産 大手水産加工の伊賀商店 釧路

【釧路】帝国興信所釧路支店が明らかにしたところによると、釧路市の大手水産加工・卸売業者、伊賀商店(伊賀昭夫社長、資本金二千万円)は二十一日午前、経営不振から釧路地裁に和議を申請、同日午後受理されるとともに財産保全命令が出され事実上、倒産した。二百カイリにからんで昨年来、釧路地方の水産加工業者は深刻な原魚不足に陥っているが、それが原因で釧路市内で倒産が出たのは同社が初めて。

同社はサケ・マスの加工など加工と道内外への水産物卸売が主な業務。五十三年一月の売り上げ八十億千三百万円に対し、五十四年一月期は商材不足から四十二億千九百万円と半減。利益も前期は二百八十一万円を計上していたが、五十四年一月期は一挙に一億三千九百万円の赤字となり、運転資金不足が表面化し和議申請した。これまでの調べでは負債総額は十億五千七百万円にのぼり、うち六億円が金融負債。六月二日債権者会議を開いて今後の取り組み方を協議するが、加工部門からは撤退し、卸売とミール部門で再建を図りたい考え。

同社は明治二十年(一八九七年)創業で釧路では大手。業界の話だと、倒産の直接の引きガネは売り上げ減少だが、四十八年、同業者と共同で設立したミール工場が不振で赤字を計上、足を引っ張られたほか、それまで表面化しない累積赤字もあったといわれる。

北海道新聞
1979/05/22
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1979年5月 7日 (月)

(有)三友商会[帯広市]

クツ・履物卸の三友商会倒産 帯広

【帯広】民間の信用調査機関、東京商工リサーチ帯広支店によると、クツ履物卸の有限会社三友商会(佐藤健一社長、資本金二百万円)=帯広市東一南一三=は、七日までに二度の不渡り手形を出し、事実上、倒産した。負債総額は約一億四千万円。

同社は五十二年一月に設立され、年商一億三千万円余(五十三年三月期)を上げていたが、「一部債権の焦げつきと旧会社からの累積赤字があり、経営を圧迫した」(同支店)と見られている。

北海道新聞
1979/05/09
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1979年5月 4日 (金)

寿原産業(株)[小樽市]

寿原産業が会社整理 繊維の業績悪化響く 負債総額27億円

寿原グループの一つで繊維問屋としてのノレンを誇っていた寿原産業(本店・小樽、寿原良高社長、資本金四千九百五十万円、従業員八十五人)が、極端な業績悪化から閉鎖、整理することになった。この四日に札幌地裁に会社整理の申し立てを行い、七日午後にも同地裁から財産保全命令が出される見通し。負債総額は三月末現在でおよそ二十七億円に上っている。なお、関連会社である同じ寿原グループの寿原薬粧をはじめ、スハラ食品、スハラ商事などへの影響は、各社それぞれおおむね業績が順調で、また、寿原産業との貸借関係もほとんどないことから、いまのところ特に表面化してこないものと見られる。

金融筋の話によると、同社はここ数年、赤字経営を余儀なくされてきた。競争の激化もさることながら、四年前に株主でもあるグンゼの販売政策の転換によるグンゼ製品の販売を打ち切られたことが大きく響き、この売り上げをカバーするための婦人アウター(ブラウス、セーターなど)への進出も失敗に終わった。

この間、道外の販売拠点となっていた東京、大阪の両支店の営業を縮小するほか、不動産の売却などで切り抜けてきたが、今冬の暖冬の影響による冬物の不振などが重なって仕入れ先の信用不安を招き、廃業に追い込まれた。

五十四年三月期決算によると、売上高は二十八億五千万円で二億八千二百万円の経常損失を出した。売上高は前期比四八%という大幅ダウン。道内での大口納入先であった丸ト北村(釧路)大晃(札幌)の倒産も大きく影響した。

負債総額は三月末で約二十七億円に上っており、今年に入ってからの道内の企業倒産としては最も大きいが、在庫がかなりあり、このため、仕入れ先など一般債権者への返済を七割前後で行いたいとしていることから同社の整理、清算はスムーズに進む見通しである。一千万円以上の大口一般債権者は全部で二十二社を数え、このうち道内企業は一社。

同社は大正十年(一九二一年)に設立され、下着類を主に扱っていた。グンゼとグンゼ製品の販売契約を結んでいたことから業績を伸ばしたが、グンゼが直営の販売会社を設立したことが打撃となった。

 

寿原良高社長の話

 財務内容が極端に悪化してしまったいまとなってはもはやどうすることも出来ない。子会社をつくるなどしてそれなりの対応はしてきたつもりだが、すべてが裏目に出てしまった。量販店の進出に伴う競争激化の前にはついに勝てなかったといえる。いまはただ債権者に迷惑がかからないように努める。

北海道新聞
1979/05/07
http://www.hokkaido-np.co.jp/

« 1979年4月 | トップページ | 1979年6月 »