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1978年4月

1978年4月28日 (金)

(有)吉原鉄工[釧路市]

和議開始(昭和53年(コ)第2号)

(有)吉原鉄工(釧路市大楽毛4丁目4番地30)は4月28日、釧路地裁から和議手続開始決定を受けた。

管財人は笠井真一弁護士(釧路市)。

債権届出の期間は昭和53年6月20日まで、債権者集会の期日は昭和53年7月19日午後2時。

1978/05/13
釧路地方裁判所

1978年4月27日 (木)

田渕(株)[札幌市]

糸の「田渕」(札幌)が破産 ヴァン倒産からむ 債務総額約5億円

糸、ボタン、ファスナーなど縫製、被服加工の付属品卸しを道内で一手に扱っていた札幌市中央区南六東三、田渕株式会社(資本金二千四百万円、従業員十八人)に対して札幌地裁(村重慶一裁判長)は二十七日、破産を宣告した。長期化している衣料品不況のうえに、ヴァンジャケット倒産に連鎖して今月中旬、破産した小林被服工業=札幌=の売掛金を回収できなかったことなどが直接の原因で、債務総額は約五億円。得意先が零細、中小企業など約五百軒にのぼるため影響が心配されている。

同地裁はまた、破産管財人に鈴木悦郎弁護士を選任、債権届け出期日を六月九日、第一回の債権者集会・調査期日を六月二十六日午後二時と決めた。

同社は先代が五十年ほど前に小樽で創業、三十一年に株式会社化した被服加工付属品を専門に卸し、小売りするしにせ商店で、産炭地域振興で誘致された縫製品工場をはじめ洋裁店、仕立て業者など道内全域にわたって固定した得意先を持っていた。年商は約三億円。その九割近くが掛け売りのため、“糸ヘン不況”のあおりをモロに受け、二年ほど前から火の車の状態だった。

二十七日には同日期限の約束手形千三百三十三万円を落とせないことが明らかになったため同地裁に自己破産を申し立てた。しかし即日、破産宣告が出されたため手持ち財産はほとんど保全できたうえ、取扱商品が縫製業者にとって必要品ばかりのため、債権者の間には在庫販売の営業継続、あるいは和議への移行、新会社設立など再建の動きも出ている。

北海道新聞
1978/04/28
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1978年4月26日 (水)

(株)七興織物[小樽市]

余市 七興織物が連鎖倒産 負債額は約七億円

呉服卸し・小売りの七興織物(本社・後志管内余市町、資本金千八百万円、従業員六人)は二十六日までに二度にわたる不渡り手形を出し、事実上倒産した。民間信用調査機関の帝国興信所札幌支店によると負債額は約七億円。

同支店の調べによると、同社は昭和三十六年三月に設立され、呉服の卸し、小売りを行い、年商五億六千万円程度の業績を上げていたが、四十七年七月、新日本海開発興業(本社・小樽市)を設立、ゴルフ場経営に乗り出した。ところが、同興業が経営不振になり、今年三月、負債約十二億円を出して倒産したことからその影響を受けて連鎖倒産した。

北海道新聞
1978/04/29
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1978年4月19日 (水)

坂田商事(株)[留萌市]

留萌では坂田商事 負債25億円

製材卸しの中堅企業、坂田商事(本社・留萌市、資本金三千万円、従業員三十人)は十九日、二度目の不渡りを出して銀行取引停止処分を受け、事実上倒産した。負債総額は二十五億円前後にのぼる見込み。

帝国興信所札幌支店の調べによると、同社は昭和二十六年に設立されたが、四十九年以降、オイルショック後の需要抑制から業績が悪化、五十二年四月期には二億円の赤字を出し、今期も売り上げ低下で累積赤字は六億円に達していた。そのうえ、今年三月末、主取引先の日野木材(本社・東京)が倒産、一億四千万円にのぼる売掛金の焦げ付きが発生したことが直接の引き金になった。このため金融機関や仕入れ先の信用不安が高まり、今月十五日と十九日に計七千万円の不渡りを出し銀行取引停止処分を受けた。負債額は金融債務十三億円、一般債務六億円のほか融手関係もかなりの額になるといわれ、最終的に二十五億円になると見込まれている。

北海道新聞
1978/04/20
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1978年4月17日 (月)

松岡満運輸(株)/松岡満交通(株)/東幌整備工業(株)[札幌市]

松岡満グループ倒産 負債総額は83億円 本道ではことし最大

慢性的な業績不振の状態に陥っていた松岡満グループ四社が事実上倒産した。グループの中核、松岡満運輸(札幌市中央区北四東一、松岡順三社長、資本金一億六千五百万円、従業員六百五十八人)は道内の路線トラックのトップ企業で、負債総額は一社だけでも五十九億五千万円。本道では今年最大の大型倒産であり、関係業界だけにとどまらず道内経済界に大きな波紋を投じそうだ。

松岡満運輸、松岡満交通(札幌市中央区、松岡順三社長、資本金八百万円、従業員百二十七人)、東幌整備工業(札幌市東区、加藤貞雄社長、資本金二百万円、二十八人)の三社は十七日、札幌地裁に会社更生法の適用をそれぞれ申請し、事実上倒産した。また、同社の親会社、繊維製品卸しの松岡満(本社・東京、松岡順三社長、資本金五千万円、従業員四十人)も十八日、東京地裁に自己破産の申し立てをし、両地裁は十九日までに財産処分の保全命令を出した。同グループの負債総額は合わせて八十三億円前後にのぼる見込み。

民間の信用調査機関である東京商工リサーチ札幌支店の調べによると、松岡満グループの中心である松岡満は、昭和二十七年二月に設立され、繊維製品の卸し・仕入れを行い、年商二十億円を上げていたが、数年前からの繊維不況で業績が伸び悩み、二十億円にのぼる累積負債を抱え込んでいた。

一方、松岡満運輸は戦争中、道内の貨物運送業者が一本化された北海道自動車運輸が分割され、二十四年四月に設立された札幌自動車運輸が前身。札幌を拠点に道内に営業網を広げ、三十八年に現社名に改称。四十七年四月、東京の同系企業、松岡満運輸(資本金千三百万円)を合併、東京都内に営業網を広げ、さらに同七月には日本高速運輸から東海道路線を獲得、四十五年から業務提携を結んでいた近鉄大一トラックの営業網につないで、“全国協同一貫輸送体制”を確立、保有車両は保冷車も含めて四百五十九台を持つ道内のトップ企業に成長、四十九年二月には本社ビルも建設した。

しかし、四十八年のオイルショック後から慢性的な不況に見舞われ、五十二年三月期の売上高は五十億二千九百十一万円で一億二千七百万円の経常欠損を出すなど経営が振るわず五十三年三月期も九千万円の経常損が確実という。

このため同社は昨年五月、札幌市東区東苗穂の社有地約三万三千平方メートルを売却し借金返済に充て、今年も札幌、苫小牧、横浜などの土地(十億円相当)を売却して当座をしのごうとしたが、思うように売れず、ついに行き詰まった。

松岡満交通は昭和三十九年設立の中堅タクシー会社。中型車七、小型車四十台を持ち、五十二年三月期は四億八千万円の売り上げを計上、また、東幌整備工業は四十年十二月設立で、グループ内の車両修理を中心に五十二年三月期は二億四千四百万円の売上高を記録、業績はともに順調であったが、親会社の松岡満の手形保証などで資金繰りがつかず、連鎖倒産に追い込まれた。

各社の負債は松岡満運輸が五十九億五千万円、松岡満交通が二億二千三百万円、東幌整備工業が一億九千万円にのぼり、東京の松岡満を含めるとグループで計八十三億六千三百万円にのぼる大型倒産となる。

北海道新聞
1978/04/20
http://www.hokkaido-np.co.jp/
 

フォト海道(道新写真データベース)
【写真説明】平常業務は今日も続いているが・・・=松岡満運輸本社 掲載 1978/08/24

 

1978年4月15日 (土)

小林被服工業(株)[札幌市]

ヴアン関連の小林グループ三社 道内初の連鎖倒産 負債総額は約24億円

さる四月六日、負債総額約五百億円を出して倒産したヴアン・ヂャケット(本社・東京)に関連して道内の大手縫製メーカー、小林被服工業(本社・札幌市中央区北五西十、資本金千三百万円、従業員四十七人)と子会社のサンエー繊維(三笠市清住八〇、同社長、資本金千四百万円、百二十人)旭川小林被服(旭川市豊岡二条三丁目、同社長、資本金三千万円、百三人)の三社がこのほど負債総額合わせて約二十四億円を出し、札幌、旭川両地裁の破産宣告を受けて事実上倒産した。道内の縫製業界でヴアン関連の連鎖倒産は初めて、また負債額の大きさも最大級である。

民間信用調査機関の帝国興信所札幌支店の調べによると、同工業は明治二十三年創立された小林製糸所から昭和十五年分離独立、戦時中は農水産の作業衣を作り、戦後は作業衣を中心に本州方面まで事業を拡大、三十年以降、日本レーヨン、大日紡のビニロン、ナイロンの委託製造を行い、好調時の四十七年ごろにはヤング向けのコートなど幅広く手を広げた。この間、三十九年八月には産炭地域振興で三笠市にサンエー繊維、四十九年十月、旭川市の企業誘致を受けて旭川小林被服の子会社を設立、ピーク時の四十九年五月期には三社の売上高は十六億五千八百万円に達し、四六%の配当を行っている。

しかし、五十年以降も売り上げが伸び悩み、現在、累積欠損は同工業が一億一千万円、サンエー繊維が五千万円、旭川小林被服が四千八百万円出している。直接的な倒産要因となったのは同工業がヴアン・ヂャケットに一億一千万円にのぼる大口債権を持っていたため、この焦げつきから信用不安が生じ、連鎖倒産したもの。負債の内訳は、小林被服が十三億二千万円、旭川小林被服八億七千万円、サンエー繊維が一億八千万円となっている。十五日、同工業、サンエー繊維は札幌地裁、旭川小林被服は旭川地裁からそれぞれ破産宣告を受けた。

北海道新聞夕刊
1978/04/17
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1978年4月10日 (月)

(株)だいこく[旭川市]

「だいこく」が倒産 負債五億七千万円 旭川の中堅家具問屋

【旭川】旭川市内の中堅家具問屋、株式会社「だいこく」(黒川安太郎社長、資本金一千万円、同市神居町台場)は、三月三十一日に続いて十日、二回目の手形不渡りを出して銀行取引を停止され、事実上倒産した。民間の信用調査機関、東京商工リサーチの調べによると負債総額は五億七千万円で、同市内の家具業界では、五十年に「マルマスイナバ」が負債総額七億五千万円を出して行き詰まったのに次ぐ大型倒産である。

北海道新聞
1978/04/11
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1978年4月 7日 (金)

(株)まるしめストアー[釧路市]

まるしめストアー(釧路)倒産 負債九億円 過大設備投資たたる

【釧路】釧路市内の中堅スーパーが、七日、不渡り手形を出し、事実上倒産、同日朝から営業を休んでいる。同市内では三月末にしにせデパートの丸ト北村が、二十六億円の負債を抱えて和議申請を行ったばかりで、相次ぐ大型倒産に関係者の表情は暗い。

このスーパーは、釧路市花園町三ノ八、株式会社まるしめストアー(佐々木忠司社長、資本金一千万円、従業員百十人)で、七日、三千二百五十万円の手形をすでに当座預金を解約している銀行に持ち込み、残高なしで戻され、“不渡り”となった。民間信用調査機関などの調べによると負債額は約九億円。

五十年秋から経営が悪化、五十一年二月から同社などで作った共同仕入れ会社の北海道セルコ(本社・札幌市)の支援を受け、経営立て直しを図ったが、五十一年一月期決算の二十億六千万円をピークに五十二年は同十八億七千万円、五十三年も同十七億六千万円と売り上げは減少の一途。これによる大幅債務超過で、再建は困難との見通しから北海道セルコが支援打ち切りを決めたため、この日、不渡り手形を出し、事実上の倒産となった。

同社は二十四年に個人企業としてスタート、三十六年に法人となり、その後、四十年に暁町支店を出したのを皮切りに、四十九年までに矢継ぎ早に店舗を新増設、市内六店舗、中標津町一店舗(昨年三月閉鎖)まで膨れ上がり、市内ではスーパーのトップになったが、三億円近くの設備投資で資金不足に陥り、高金利の金融に依存するなど、五十年暮れごろには運転資金にも不足、北海道セルコに支援を要請していた。原因は過大設備投資のほかスーパーの大型化による競争激化、不況による消費力の低下などがあげられる。

北海道新聞
1978/04/08
http://www.hokkaido-np.co.jp/

 

まるしめストアーに財産保全命令 道セルコが破産申し立て

【釧路】七日、三千二百五十万円の不渡り手形を出し事実上倒産した釧路市花園町三ノ八、株式会社「まるしめストアー」(佐々木忠司社長、資本金一千万円)に対し、最大の債権者である北海道セルコ(本社・札幌)は十日午前、釧路地裁に破産の申し立てを行った。このため同地裁はただちに、同ストアーに財産保全命令を出し、とりあえず生鮮食料品を換価処分し、代金を供託するよう指示した。

北海道新聞
1978/04/11
http://www.hokkaido-np.co.jp/

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