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1977年8月

1977年8月27日 (土)

(株)北海道船場[札幌市]

紳士服の北海道船場行き詰まる

紳士既製服販売の北海道船場(札幌市中央区南三西二、資本金五百万円)はこのほど二回目の不渡り手形を出し、経営が行き詰まった。負債総額は四億円にのぼる見込み。営業は継続している。

同社は四十八年に設立、現在、札幌、室蘭、苫小牧など七店で営業しているが、薄利多売の戦略が競争激化による販売の伸び率の低下を招き、収益が悪化、行き詰まった。経営陣は新会社を設立、営業を継続するため大口債権者と交渉している。

北海道新聞
1977/08/27
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1977年8月25日 (木)

(有)柴田板金[札幌市]

和議開始(昭和52年(コ)第2号)

(有)柴田板金(札幌市東区北7条東3丁目16番地)は8月25日、札幌地裁から和議手続開始決定を受けた。

管財人は文仙俊一弁護士(札幌市中央区)。

債権届出の期間は昭和52年10月5日まで、債権者集会の期日は昭和52年10月25日午後3時。

1977/09/02
札幌地方裁判所第四部

1977年8月15日 (月)

(株)日邦[札幌市]

破産宣告(昭和52年(フ)第18号)

(株)日邦(札幌市東区北36条東4丁目798番地)は8月15日、札幌地裁から破産宣告を受けた。

破産管財人は馬杉栄一弁護士(札幌市中央区)。

債権届出の期間は昭和52年9月30日まで、第1回の債権者集会・債権調査の期日は昭和52年10月25日午後1時。

1977/08/26
札幌地方裁判所第四部

1977年8月 5日 (金)

永楽交通(株)[旭川市]

永楽交通が倒産 負債二億円超す

【旭川】民間信用調査機関の東京商工リサーチ旭川支店が、六日明らかにしたところによると、旭川市本町一、永楽交通(本社・旭川市、資本金三千万円、上田茂夫代表取締役)は五日、二回目の不渡り手形(額面約五百万円)を出し銀行取引停止処分を受け、事実上倒産した。負債総額は約二億四千万円に上る見込み。

同社は昭和四十年六月、旭川市内で七番目のハイヤー会社として設立され、中堅ハイヤー会社として順調な営業を続けていたが、今年四月からのベア闘争を含む春闘が長期化、これまでに十一波、延べ三十日間に及ぶ長期ストを続けたことから資金繰りが極端に悪化、一日の一千八十万円に次ぎ五日には約五百万円の不渡り手形を出した。旭川ハイヤー協会の調べでは、昭和三十年に同協会が発足して以来加盟社が倒産したのは初めて。

北海道新聞夕刊
1977/08/06
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1977年8月 4日 (木)

(有)新居自動車[伊達市]

新居自動車が倒産

【伊達】帝国興信所室蘭支店の調べによると、有限会社新居自動車(新居忠市社長、資本金七百万円、伊達市上長和町)は、四日に銀行取引停止を受けて倒産、会社整理に入った。

同自動車は胆振管内では大手の自動車整備工場で、負債総額は三億五千万円、胆振西部地方では今年に入って最も大規模な倒産。

北海道新聞
1977/08/06
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1977年8月 3日 (水)

日魯造船(株)[函館市]

日魯造船行き詰まる 函館 地裁が財産保全命令

【函館】造船不況が深刻化する中で函館ドックの最大手下請けである日魯造船(本社・函館市浅野町二ノ一、西谷富士彦社長、資本金一億円)が三日、函館地裁に倒産防止のための和議を申請、同地裁はこれを受けて同日財産保全命令を出した。同社は六日に七千五百万円の手形決済が予定されているが、金繰りがつかず、経営は完全に行き詰まっていた。取引銀行筋によると負債総額は約四十億円。

同社は昭和十七年に設立され、函館ドックと日魯漁業がそれぞれ半額出資している。また同社は函館ドックの船体ブロック工事を主に受注。五十年までは順調に操業を続けてきたが、国際的な造船不況の波を受けて親会社の函館ドックからの受注が減少、五十年度の年間生産高三十五億七千万円に対し五十一年度は二十一億千万円に急減、この年三億三千万円の赤字を計上した。

特に昨年暮れからの受注減は著しく、会社側は今年三月、函館造船所二百四十九人、石巻造船所百三十人の従業員のうち、函館側百十人の希望退職を募った。その後も五月から同造船労組(木村三雄委員長)と合理化交渉を続けたが、組合側は一部希望退職に応じたものの六月に社長交代があってから、交渉は行き詰まっていた。

今回の和議申請は組合側の合理化反対攻勢をかわし、生産規模を縮小することで切り抜けることをねらいとしたとみられている。会社側は和議申請により、漁船を作っている石巻造船所と、函館造船所の陸上プラント部門を除く約八割の不採算部門を切り捨てる意向。同社の関連下請け業者は四百五十社に上り、影響は大きい。

北海道新聞夕刊
1977/08/04
http://www.hokkaido-np.co.jp/
 

フォト海道(道新写真データベース)
【写真説明】船台も遊休化した日魯造船の構内 掲載 1977/08/21

 

1977年8月 2日 (火)

宮商産業(株)[函館市]

宮商産業が事実上倒産

【函館】住宅建設販売では函館市内で中堅どころの宮商産業(本社・函館市中道町一一四、資本金二百万円)が八月に入り二度の不渡り手形を出し、このほど銀行の取引停止処分を受け、事実上倒産した。東京商工リサーチによると、負債総額は四千五百万円。

同社は四十六年に設立され、一般住宅の建売分譲と注文住宅の建設を手掛けている。今年はすでに三十五戸の契約を交わし、一戸から三十万―五百万円の前渡し金を受けており、建築主はこの頭金の返還を要求している。同社によると、この総額は三千万円弱という。

北海道新聞
1977/08/11
http://www.hokkaido-np.co.jp/

(有)鳴川砕石工業所[函館市]

鳴川砕石(七飯町)が事実上倒産

【七飯】今年三月、ニジマス養殖池に軽油を流出させ六万匹が死んだとして問題になった渡島管内七飯町鳴川の鳴川砕石工業所(本社・函館市入舟町二二ノ二六、資本金五十万円)が二回の不渡り手形を出し二日、銀行の取引停止処分を受けて事実上倒産した。負債総額は約六億五千万円。

東京商工リサーチ函館支店によると、同社は四十一年三月に設立され、現在、従業員二十五人、年商二億八千万円で道南では有数の砕石工場。また、七飯町内公共工事の指定砕石場となっている。四十七年から四十九年にかけて、計五億円の大型設備プラントを導入したが、その後の総需要抑制などに遭い業績が悪化していた。機械関係商社のテコ入れでなんとか持ちこたえていたが、今年に入って三月十日に工場の石油プラントから軽油がもれ、これが鳴川の一キロ下流にある石井観光農場の養殖池に入り、ニジマス六万匹が死んだとしてトラブルが持ち上がり、結果約一カ月間操業を休んだことが倒産の間接の引き金になった。

東京商工リサーチによると、倒産の原因は直接には過剰設備にあるとみている。負債額は道南では今年に入って函館ドック下請けの日函機械の約七億円に次ぐもの。

北海道新聞
1977/08/02
http://www.hokkaido-np.co.jp/

(株)旭川菱雄[旭川市]

旭川菱雄、負債18億円で倒産

【旭川】旭川市宮下二の株式会社「旭川菱雄」(資本金三千二百万円)の里見和也社長は二日、同市宮下八のアサヒビルで債権者会議を開き「総額十八億円余の負債を抱え、今後業績好転の見通しもなく、五日決済期限の手形決済も出来なくなった」と、事実上の倒産を明らかにした。

この会議に出席したのは、取引金融機関も含め六十四社の代表者ら。席上、里見社長は同社の債務先六十四件、債務額十八億円余などを明記した書類を提出したうえ「五日が期限の総額八百六十五万円の支払い手形の決済のメドが立たず、やはり同日期限の総額八千万円にのぼる系列会社に対する手形決済が出来なくなった」と説明。さらに同社が扱っている灯油、ガソリンなど石油類や建築資材の納入先である三菱商事、三菱鉱業セメントからも「取引停止を受けている」と、経営破たんを明らにした。

帝国興信所、東京商工リサーチの各旭川支店によると、同社は昭和二十四年に創立され、昨年の年商は十三億円。同社の関連企業としては旭川オートガス、新三和産業(富良野)、日勝ボウル(帯広)、永楽交通(旭川)、菱雄産業など十社近くが挙げられ、そのうち里見社長が代表取締役を兼務しているだけでも五、六社にのぼる。

それだけに、宣言通り同社が倒産した場合は、系列、関連企業に及ぼす影響も大で、両支店とも「最終的に負債額は二十億円を超すだろう」と見ている。

北海道新聞
1977/08/03
http://www.hokkaido-np.co.jp/

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