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1972年1月

1972年1月31日 (月)

(株)ナカウロコ向井[札幌市]

『ナカウロコ』倒産 都心部乗り入れに失敗

呉服販売店としては道内最古のナカウロコ向井(本社札幌、向井重雄社長、資本金一千五百万円)が一月三十一日、札幌地裁に会社更生法適用を申請、翌一日、同地裁から財産保全命令が出され、事実上倒産した。同社は一昨年十月、それまでの札幌・ススキノにあった本店を都心部に移転し拡大戦略をとったが、本州大手の攻勢や、予定していたテナントが集まらず、結局資金繰りに窮し経営が行き詰まった。札幌では最近、地元商店街が中心となって、本州資本進出反対の総決起大会が開かれたばかりであり、その直後の“名門”の倒産とあって、小売り業関係者は『過密商戦の犠牲』とみて、大きなショックを受けている。なお営業は平常通り続ける見通し。

ナカウロコ向井は明治八年の創業で、歴代、同族経営として知られ、店舗が移転するまで呉服販売一本で貫き、料亭や旅館、それに名士の夫人たちに根強く食い込んでいた。

しかし、札幌商戦が都心部中心に移行したため歓楽街のススキノでは立地的に恵まれず、このため五億円で土地を売却して、金市舘本店が一時入居していた南二西一のビルを借り受けて都心部に乗り込み、従来の呉服一本から洋品、雑貨、インテリアの部門にも進出、経営の多角化を図った。

ところが四階から六階までの三フロアをテナント(入居店)で埋めようと本州系企業中心に交渉したが結局、誘致に失敗、そのうえ多角経営も特色がなかったことから、当初狙っていたヤングの動員も思うようにゆかず、最近では家賃月額五百万円と金融機関などの金利返済に追われていた。また昨年五月には資金不足から釧路、函館、旭川の三支店のうち、経営効率が悪い旭川支店を閉鎖したが、手遅れとなった。

東京商工興信所、信用交換所両道支社調べによると、四十六年一月期(年一回決算)の売り上げは十二億三千万円で、負債総額は関連企業分も含め六億八千五百万円だが、同社顧問弁護士の話では子会社の不動産を処分すると純負債額は一、二億円程度になるという。

一方、両社の再建方針によると、現在入居しているビル会社に対し、同社は敷き金・協力金として三億円預託してあり、これを引き出すとともに子会社を吸収、販売も呉服のみにしぼって再出発したい意向である。

向井康之・ナカウロコ向井代表取締役専務の話

 釧路、函館店の経営は順調だが、札幌店が大手企業攻勢にあったうえテナントが集まらず、これが致命傷となった。今後は管財人が選出されナカウロコの再建をゆだねるので発言は慎まねばならないが、私個人としては、現在の店舗規模を縮小し再出発したいと思っている。

北海道新聞
1972/02/02
http://www.hokkaido-np.co.jp/
 

フォト海道(道新写真データベース)
【写真説明】過密商戦のあおりで倒産した名門・ナカウロコの札幌本店 掲載 1972/02/02

 

1972年1月17日 (月)

開洋水産(株)[稚内市]

更生手続開始(昭和46年(ミ)第1号)

開洋水産(株)(稚内市港町1丁目1番地1)は1月17日、旭川地裁から更生手続開始決定を受けた。

更生債権、更生担保権の届出期間は昭和47年2月26日まで、第1回関係人集会の期日は昭和47年3月3日午前10時(稚内市中央3丁目稚内商工会議所会議室に於て)、更生債権、更生担保権の調査期日は昭和47年4月27日午前10時(稚内市中央3丁目稚内商工会議所会議室に於て)。

更生会社の債務者は、その債務を更生会社(従前の代表取締役)に弁済してはならない。更生会社の財産の所持者は、その財産を更生会社(従前の代表取締役)に引渡してはならない。更生会社の債務者および財産の所持者は、昭和47年2月26日までに債務を負担することまたは財産を所持することを管財人に届け出なければならない。

1972/01/24
旭川地方裁判所第一民事部

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