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1970年12月

1970年12月25日 (金)

星化学(株)[札幌市]

会社整理開始(昭和45年(ヒ)第30号)

星化学(株)(札幌市南7条西12丁目767番地)は12月25日、札幌地裁から会社整理手続開始決定を受けた。

1971/01/08
札幌地方裁判所第二部

1970年12月24日 (木)

(株)辨野組[釧路市]

破産宣告(昭和45年(フ)第2号)

(株)辨野組(釧路市堀川町3番地の3)は12月24日、釧路地裁から破産宣告を受けた。

破産管財人は組村真平弁護士(釧路市)。

債権届出期間は昭和46年1月30日まで、第1回の債権者集会の期日は昭和46年1月22日午後1時、債権調査の期日は昭和46年2月22日午後1時。

1971/01/08
釧路地方裁判所民事部

1970年12月14日 (月)

松岡木材産業(株)[旭川市]

松岡木材が倒産 拓銀などのテコ入れ実らず

王子製紙、拓銀などのテコ入れによって再建のスタートを切ったばかりの道内木材業界の大手、松岡木材産業(本社旭川、資本金一億五千万円)が十四日、旭川地裁に会社更生法適用を申請、同日、同地裁から財産保全命令が出され倒産した。負債総額は約三十億円で、ことし倒産した道内企業の中では最大の規模。

松岡木材は明治四十年の創業で旭川市近文に製材、合板工場を建設し、造材のほか製材、合板、土木建築業などにも手を広げてきた道内木材業界のしにせ。

同社は昭和三十五年、三億五千万円を投入してハードボード工場を設立したが、合板の対米輸出不振がたたって経営が悪化、このため間もなく同工場を閉鎖した。さらに同社にとっては主体部門の一つである製材が“原木高の製品安”で経営をいっそう悪化させ、売り上げ高も四十二年二十四億二千万円、四十三年二十九億六千万円、四十四年三十四億一千万円と期待したほど伸びなかった。

このため今春、同社のメーンバンクである拓銀のあっせんで王子製紙が松岡木材の救済に乗り出し、三者会談によって(1)近文工場の製材部門を松岡木材から切り離し、王子製紙、王子木材、松岡木材の共同出資で新会社『愛山林業』を設立する(2)松岡木材は合板の本体部門だけに経営規模を縮小する―などの再建策を固め、すでに愛山林業は操業を開始している。

この間、王子製紙は松岡木材に対し数億円を援助、拓銀も十一月末、四千万円の手形決済を肩代わりする一方、八日には同社従業員の給料を代わって支払うなどのテコ入れをしてきた。

しかし、松岡木材のこの合理化案については必ずしも同社幹部の足並みがそろわず、これが信用不安を増大させ、最近では拓銀以外の金融機関はほとんど同社との取り引きを解消した。

同社の会社更生法適用申請申し立て書によると『昨年九月以降とされた政府の金融引き締め政策によって資金難に陥り、債務の弁済が不可能になった』としている。

同社の負債総額約三十億円は道内倒産企業ではことし最大で、他の関連企業や木材業界に波及するのではないかと心配されている。なお、愛山林業はそのまま存続する。

北海道新聞
1970/12/15
http://www.hokkaido-np.co.jp/

1970年12月 2日 (水)

茨戸観光(株)[札幌市]

茨戸ハワイランド 財産保全命令を申請“社長”つんぼさじき

十月末、資金繰りが悪化して社長が交代したばかりの茨戸ハワイランドの経営母体の茨戸観光(本社・札幌、資本金二千万円)がこのほど“現社長”が知らぬ間に札幌地裁に財産保全命令を申請、二日同地裁から財産保全命令が出された。同社はこれに続き近く同地裁に会社更生法の適用申請を出す予定。なお同社の営業は平常通り続ける。

茨戸観光は昭和三十九年、浅野工務所社長の浅野惣市氏が資本金六十五万円で設立、その後石狩管内石狩町花畔(ばんなぐろ)にホテル『白鳥閣』をはじめ温水プール、ボウリング場、パノラマ浴場などを備えた茨戸ハワイランドを総額六億円を投入して建設、昨年四月オープンした。

ところがこの資金のうち三億円が借り入れ金だったことから借金返済に追われ、このため四十二年から資金対策としてこれまで連続十一回の増資を行ない、急場を切り抜けてきたが、長期借り入れ金の返済がはじまったことし五月から極度に経営が悪化し、手形も不渡り寸前までいくことがしばしばだった。

このため、十月末、同社の役員会で浅野社長が代表権のない会長に祭りあげられ、かわって取締役の春原(すのはら)良吉氏=アカツキ交通社長=が社長に就任、再建に乗り出した。だが、この社長人事は役員会で決議したものの登記されておらず、二人の社長ができてしまった。

春原氏は社長就任後、役員の全面的協力が得られず、このため同氏は再三、辞意をもらし商法上、社長のままでいる浅野会長に役員会の招集を要請したが『過去二回いずれも流会となった』(春原氏)

こんど財産保全命令を申請したのは浅野氏で、浅野氏の話によると、春原氏が社長をやめたい意向をもらしていたので先月二十九日、春原氏の出席がないまま役員十五人のうち八人ほどが集まって役員会を開き、席上春原氏の辞任を認め浅野氏が社長にカムバックした、という。この間春原氏は健康がすぐれなかったため会社を休んでおり、“社長交代”も全く知らず、現在でも茨戸観光社長を自認しており、結果においては“二人社長”が存在という奇妙な形となった。

申請した覚えない

春原社長の話 財産保全命令を申請した覚えもないし、そういった措置は私だけしか出来ないはずだ。事実だとすれば大問題だ。

退任は春原氏の意向

浅野氏の話 春原氏が社長を退任したいといっていたのでそれを認めた。この人事を決めた役員会の日時は多分、同氏に連絡しているはずだし、この時の議事録もある。春原氏が社長就任後、振り出した手形が八百五十万円もあり、これが保全命令申請の一因となった。

北海道新聞
1970/12/03
http://www.hokkaido-np.co.jp/

 

更生手続開始(昭和45年(ミ)第7号)

茨戸観光(株)(札幌市北22条東7丁目365番地)は1月26日、札幌地裁から更生手続開始決定を受けた。

更生債権および更生担保権の届出期間(提出先札幌地方裁判所会社更生事件係)は昭和46年3月22日まで、第1回関係人集会期日は昭和46年3月26日午後1時、場所・札幌市北1条西2丁目北海道経済センター8階ホール、目的・管財人の調査報告を開き、かつ利害関係人から管財人の選任ならびに会社の業務および財産の管理に関する意見を聞くこと。更生債権および更生担保権調査期日は昭和46年5月21日午後1時、場所・札幌地方裁判所会議室。

更生会社の債務者および更生会社の財産の所持者は、更生会社に弁済し、またはその財産を交付してはならない。右弁済または財産の交付は、更生手続中においては、すべて管財人に対してしなければならない。右の者らは、右の債務を負担することまたは右財産を所持することを昭和46年3月22日までに管財人に届け出なければならない。

1971/02/02
札幌地方裁判所第二部

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